大好きなあの人のこと

キミはそうボクのジュリエット

精一杯のありがとうと大好きを


2年前の5月6日、私は広島グリーンアリーナである1人の男の子の担当をすることを決心しました。1年後の3月10日、その男の子は突然ステージから姿を消しました。私はそこから先の見えない真っ暗な未来をただただ見つめていました。その年の夏、8月4日、彼はまたステージに姿を現しました。そこからまた彼はアイドルとしてステージに立ち続けました。年が明けて1月、大阪城ホールのステージに立ちました。オリジナル曲とオリジナルの衣装をもらいました。朝田くん達のための曲、朝田くんのための衣装、凄く凄くかっこよかった。その年の2月、彼は私の夢だった「滝沢歌舞伎」の舞台に立ちました。私が見たかった景色を彼が見せてくれました。またここに来たい、朝田くんと一緒に。そう思いました。そしてその年の3月31日、彼はまた突然ステージから姿を消し、ジャニーズ事務所から卒業しました。





















































私のはてブ皆勤賞の方なら多分毎度の事ながらわかってたかもしれないけど、私のはてブって9割重い。ダラダラ長いこと書いて結局何が言いたいのかわかんないし。だから今回もそんな感じです。思いのままに書いていくので。同じことばっか言ってるかもしれないけど、たぶんこれが最後のはてブなので。

































私は、本来知り得ない、知ってはいけない、
普通のオタクは知ることも出来ないはずの情報を耳にしてしまいました。あの3月30日の出来事が今でも忘れられません。(裏ルートで聞き入れたとかそんな話じゃないよ)一切どこにも流れていなかったであろう話、てかそんなギリギリにそこに伝わるの?って。もしかしたら辞めることを決めたのは本当にギリギリのタイミングだったのかな。その話を知って、私は声を大にして「朝田担、今すぐジャニショに駆け込め、後悔するな、絶対売り切れさせろ!」と言いたかった。でも言えなかった。どこにも話しちゃいけないし、何よりそれを聞いた自分が1番、事実を受け止めきれなかったから。言えないのに言いたくて、言いたいのに言っちゃいけない。そんな感情と戦いました。次の日、私は愛知に旅立ちました。飛行機の中で朝田くんのアクキーを握りしめて。どうか、朝田くんが涙を見せませんように、と願うしか無かった。そして私は愛知に着いてホテルに荷物を預け、真っ先にジャニショに向かいました。2時間くらい並んだかな。朝田くんの写真を見つけて、今までに買い込んだことの無い量を買いました。私が買った1種類が棚から消えて、「よし、売り切れた」と思ったのも束の間、奥から在庫が出てきてしまいました。「ああ、売り切れさせられなかった」と後悔しました。でも、私は自分なりに自分が納得するほどの量を買い込めたからよかった。

















そして見事に彼はアンコールで大泣きをしてしまったようで。バカだなあ。最後まで隠し通せよ。泣くなら辞めるなよ。そう思いながらレポを見ていると、「funky7人並んでステージに立ったよ」「ニシタクがめっちゃ泣いてた」「朝田くんが真ん中でバンバンしたよ」「最後はみんな笑顔だった」
そんなレポがたくさんありました。朝田くんのためにたくさんの後輩が泣いてくれました、朝田くんのそばで6人は笑っていてくれました。朝田くんをみんなでお見送りしてくれました。いつの間に彼はこんなにもたくさんの人に愛される人間になってたのか、私はそんなことも知らなかった。朝田くんが居なくなることを寂しいと思ってくれる後輩がいる。朝田くんの最後だから、大切な仲間がそばにいて肩を組んで笑ってくれた。朝田くんはきっとこの日、世界で誰よりも幸せだった。
私は悲しいのに寂しいのに、嬉しくて涙が止まりませんでした。どうすることも出来ない、誰にもぶつけられない感情を抱いたまま1人でただひたすら泣きじゃくりました。子どものように。ベットに置いた朝田くんの写真は笑顔でした。そんな笑顔を見て私はまた泣きました。行かないで欲しかった、辞めないで欲しかった、アイドルでいて欲しかった。

















彼が居なくなったあの日から、正直私には実感がまだありません。
また長いお休みをしてるだけなんじゃないか、本当は辞めてないんじゃないか、答えはわかっているのにそんなことばかり考えてしまいます。
だけど、いつまでもこのままの気持ちでいるわけにはいかないんです。
彼が前を向いて、1人で新しい場所で頑張ると決めたのに、私がそこから目を逸らしていてはいけない。
そう思っていてもなかなか前を向けないのが現状なんですけど。
彼がいないジャニーズという業界に、私は興味が無くなってしまったはずなのに、まだ彼がいるかもしれないと思い、毎週まいジャニのSHOWTIMEだけは見るようにしていました。
My Dreamsを聞いて号泣した翌週、彼が大切な仲間と踊っていました。
「あ~、やっぱりこの人を超える人はもう居ない」
私の中でその想いがぐっと強まりました。
テロップで名前もちゃんと流れたんです。
でも、スタッフさんの配慮だったんでしょう、彼にピントの合ったソロカットは1つもありませんでした。それでも良かった。彼があそこに居てくれたから。それだけで私には充分すぎた。大好きだ。






























彼が私にくれたものは、"幸せ"だけではなかった。
悔しさも苦しさも辛さも、大切な人を思う愛おしい気持ちも、いろんなことを教えてくれて、気づかせてくれました。
彼は私の夢を1つ叶えてくれました。
滝沢歌舞伎」という歴史と伝統あるステージに立った彼は
私の一生忘れることの出来ない瞬間です。
私は彼の夢を叶えてあげられなかったのに、彼は叶えてくれました。
なんとも誇らしい自担なんだろうか。
そしてなんとも無力なオタクなんだろうか。
彼が去年の春ステージから姿を消した時「ファンを捨てたんだ」
などと怒り狂った日もありました。
でも今年の春、私は彼を捨ててしまった。
どうにか探せば、高額で積めば入れたかもしれなかった春松竹を
「まあ、まだこの先も現場があるし」なんて余裕ぶっこいて
行かない選択をしたのです。
あの時の私に会いに行けるのであれば私は

「積め、いくらでも積め、そして現場に行け、今金がなくなったってこれから稼げるから、今を大事にしろ、後悔するな」

と、念を推したい。
チケットを高額で売り飛ばす輩は嫌いですが、その輩に頭を下げてでも入りたかった。
「今」を大事にしよう、「今」を後悔しないようにしようって
決めてたはずなのに、なんで私はあそこで余裕ぶっこいたんだろう。
これからも彼の"楽しい"を当たり前に共有していくんだって思ってたんですよ。今年に入って「朝田くん辞めるな」って思った人いました? いませんよね?いたら超人ですよね?だってあけおめでも滝沢歌舞伎でもあんなに輝いてたんだもん。辞めるなんて思わなかったもん。私がバカだったよ。もっともっとこれからいろんな景色を見に行くんだと思ってた。
でももうそれが出来ない今、私に出来ることは新しい道に進んだ彼を心から応援することです。
と、口では言うけど正直頭の中では全然そんな気持ちにもなれず未だに「戻ってきて欲しい」と思う毎日です。






























私は、funky8が完全になくなってしまうのが怖かった。
それは、8人が大好きだから。でもそれ以上に、朝田くんがいなくなるのが怖かったのです。funky8が無くなれば、彼はきっとこの業界から身を引く。もしかしたら彼だけでは無いかもしれない。そう思っていました。誰よりもみんなのことが大好きで、みんなといる時間を大切にしていました。8人で叶えたい夢をずっとずっと口にしてくれました。10年後ドームツアーをしたい、その時一緒にいるのが今の8人だったらいいんですけど。なんて言ってたのも、8人じゃない未来をちゃんと見据えてる、でも、8人がいいって思いだったんじゃないかなあって今になって気づきました。朝田くんは本当にみんなのことが大好きでした。きっとそれと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、みんなは朝田くんのことを大切に思ってくれて、funky8を大切に大切に思っていてくれたのかもしれません。8人と叶えられなかった夢、またチャンスがあるなら次こそ絶対に叶えたいと思うけれど、今はもうみんなそれぞれの道を進んでいるから。8人がfunky8で居てくれて良かった。みんなの努力が必ずどこかで報われますように。


































何話してたっけ。
































朝田担になって私にはひとつ後悔が残りました。
それは朝田くんの最後を見届けられなかったこと。
朝田くんが辞めようとしていることに気づけなかった。
私は、春松竹のチケットが外れて、それでも探して、旅行の話がなくなって大阪に行けなくなって、朝田くん出番少ないっぽいし今回は諦めよう。って諦めて。
私は自分で、朝田くんを見届けるチャンスを手放しました。後悔しました。私が見た朝田くんの最後は滝沢歌舞伎でした。私の夢でした。朝田くんに滝沢歌舞伎に連れていってもらう事が。すごくすごくかっこよかったし誇らしかった。でも、私が大好きなのは、ステージに立って歌って踊る朝田くんでした。何よりも、歌って踊る朝田くんが大好きでした。私が1番見たい姿でした。
去年の春何も言わずに勝手にステージを降りた朝田くんに「勝手すぎる」「ファンを捨てたんだ」なんて怒ってたのに、今度は私が朝田くんを捨てた。それとこれとは別でしょって言うかもしれないけど、向こうからすればそういうこと。1人でも多くのファンに来て欲しいと思ってくれているのに、私は朝田くんのところに行かなかったた。私は朝田くんを捨てたんだ~って今になって気づいた。自分で行かないって決めたのに、行かなかったことに後悔した。自業自得だ。大好きな姿を見れずに、朝田くんはステージを降りたんだ。あけおめで見た朝田くんが今でも忘れられません。あの日、1年半ぶりに朝田くんの姿を見ました。朝田くんはキラキラしてました。8人の新曲だってもらいました。オリジナルの衣装だって作られました。私が見たかった、ラップをする姿もありました。私が大好きな朝田くんがすごくすごく詰まっていました。モニターに映し出される朝田くんも、花道で踊る朝田くんも、どの瞬間を切り取っても朝田くんは最高のアイドルだった。後輩に自分から行けないと言ってた朝田くんが、めちゃめちゃ後輩に絡みに行ってました。絡みに行って自分の立ち位置に時間内に戻れなくもなっていました。花道から客席を見渡して、自分のファンを見つけては幸せそうな顔で微笑んでいました。康二くんにファンサを真似されていました。ステージに戻る時、自分の前を走っていたニシタクの腰をポンっと叩いて一緒に走っていきました。朝田くんはずっとずっとアイドルでした。あのステージに立っていたのは紛れもなく、私が大好きな朝田くんでした。




















私はまだ、朝田くんが居なくなった事実を受け止めることができません。だから、もう、関西ジュニアから目を背けることにします。そうじゃなきゃ、一生あなたの影を探してしまいそうだから。誰かの後ろにあなたの姿を探してしまいそうで。弱いオタクでごめんなさい。彼が選んだ道を否定したくはないし、応援したいって思ってます。でも、行かないで欲しい、戻ってきて欲しいと思うのも本心で。「オタクがしたい」って言ってきたけど、私がしたいのはオタクではなくて、朝田くんがいる現場に行くことです。それが叶わなくなった今、担降りをしようとも考えました。しようかっていうかせざるを得ないのかもしれないけど、私にはまだその決心はできません。朝田くんを嫌いになれないし、離れようと思えないから。でもだからと言って、別の道に進んだ彼を追いかけ回すつもりは一切ありません。なんてったって私が好きなのはアイドル朝田淳弥だから。誰かが「別の道に行っても仲間だと思ってます」そう言ってくれる度に、嬉しくてありがたいなって思うのに、それと同じくらい「そんなこと言われても私はもう朝田くんがステージに立ってる姿を見れない」と悲しくなるのです。私の見たかった景色は朝田くんとじゃなきゃ意味が無い。そこに朝田くんの姿が無いなら私には、誰が夢を叶えたってどんなに大きなステージに立ったって、なんの意味もない。これが私の区切りです。朝田くんへの想いを断ち切るのではなく、関西ジュニアからしばらく離れます。私はたぶんこれから先も、朝田くんのことが忘れられないと思う。もっともっと見たい景色があったのに、夢を叶える時朝田くんを見たかったのに、私はまだこれからだったのに、と、自分勝手なわがままで朝田くんの退所を受け入れられません。ごめんねほんとに。

































彼が見せてくれたもの、教えてくれたこと、気づかせてくれたこと、叶えてくれた私の夢、全部全部私にとっての一生の宝物です。そして何より"朝田淳弥"という存在が、私の自慢です。誇りです。
私は、歌が上手い人が好きだから、大橋くんやまとくん末澤くんが好きです。顔はタイプが全然違うけど丈くんや正門くんが好きです。関ジュで一番最初に好きになったのは西畑さんでした。でも、私が担当として選んだのは朝田くんだった。それが今でも不思議だよ。1人の人を応援しようと決めたのも、この人を最後の担当にしようと思えたのも、顔や声性格どれも好みじゃない人を担当にしたのも、全部朝田くんが初めてでした。私は朝田淳弥っていう一人のアイドルに惹かれたんだね。朝田くんを担当と呼ぶようになって、朝田担として過ごしてきて私は本当に楽しかったよ。






























今まで本当にありがとう。
ステージで輝く関西ジャニーズJr.の朝田淳弥くんのことが
本当に本当に大好きでした。
誰よりもかっこよくて、誰より輝く一番星でした。
日本語が弱くて、正直本気で心配になりました。
みんなはそういう所もかわいいって言ってたし、おもしろい事もあったけど
私は、「本当にこの人はこれでいいのか…」って思ってました。
大好きだから、悩んだし、変わって欲しいと思いました。
もっと前に出てきて欲しいのに、デビューしたいと言って欲しいのにって
何度も何度も悩みました。
でも、朝田くんは最後の最後に変わってくれました。
積極的に発言してくれるようになりました。前向きでした。
ユニットができたこと「悔しい」と思ってたって、教えてくれました。
朝田くんが夢を叶える時そばにいて欲しいメンバーはあの頃からずっと変わってなかったんだと気づきました。
あなたがデビューの夢を語らなくなった理由も、今ではなんとなくわかった気がします。
だけど、あなたは最後まで頑張り抜いてくれました。
千秋楽の涙を「みっともなかった」と言っていたって聞きました。
みっともなくなんかないよ。
あなたが泣いたから、泣くほどこの場所が、仲間が好きだったんだって私は改めて気づけたよ。涙が止まらなくなるくらい、あなたは必死に頑張ったんだよ。
それに、この日まであなたは「辞めよう」って考えてることを一切私に気づかせなかった。それって凄いことだよ。それだけずっと真っ直ぐ前を向いて、アイドルとしてステージに立ち続けてくれた証拠だよ。
「あの時復帰してよかった」って少しでも思ってくれてるといいな。
あなたの10年は、あなたの大きな大きな力になる。
私はそう信じてます。















きつねみたいなのに綺麗に整った顔立ちも、笑うと無くなる目も、早すぎる腰振りも、きつねポーズやりがちな所も、すぐファンサまねされる所も、自分のファンを見つけるとわかりやすく嬉しそうな顔をするところも、今江くんのこと好きすぎるところも、照れると頭をかいちゃう癖も、関西人なのに全然おもしろくないところも、星が好きすぎるところも、厨二病なところも、仲間を宝物だと言える所も、ファンを大切にしてくれるところも、気持ちを素直に言葉にしてくれるところも、頼りないところも、この人じゃなきゃダメだなって思わせてくれるところも、全部全部大好きでした。あなたがアイドルとして私に見せてくれた姿が全部全部大好きでした。


















大袈裟だよって誰かに笑われちゃうかもしれないけど、私は本当に朝田くんが世界で1番のアイドルだって思っています。誰にも変えられない特別な存在です。



















最後まで私の担当でいてくれてありがとう。
私はあなたのファンでいられてとてもとても幸せです。






































小・中学生の頃の私へ
あなたは中二くらいから急激に関西ジュニアの沼にハマります。入口は西畑大吾くんです。「坊主にしてから涙もろい」とか言うのをかわいいかわいい言いながら泣いた日もあったよ。そして同時期に「なんやこいつおネエやん」と毛嫌いする人ができます。ほんとにほんとに嫌いです。でもね、2015.16年あたりにその人を見たら、ぐっと惹き込まれるよ。「私が知ってる朝田くんじゃない」って思い始めるよ。そしたら一気に朝田くんに興味を持ち始めるよ。みんなから驚かれるし、自分が一番驚いてるからね。でもね、焦らなくていいよ。ちょっとずつ彼のことを好きになっていくからね。そしたら自然と、お兄ちゃん組に気持ちが向き始めるよ。熱い男達に釘付けになるよ。なうぇすと最後列だけど、ちゃんとうちわ作っていくんだよ。もちろん「朝田」のね。朝田くんは、見つけてくれるよ。その瞬間からあなたは立派な朝田担になるからね。funky8と朝田くんと進んでいくんだよ。不安になることばかりだし、時には目を逸らしたくなるかもしれないけど、全部その時その時受け止めて受け入れて一緒に進んでいくんだよ。絶対離しちゃいけないよ。その決断は、その道は、何一つ間違っていないから。朝田くんがステージに立つ時、絶対あなたは客席にいなきゃダメだよ。多少無理したって大丈夫。死んだりしないから。今の私の後悔をあなたが味わわなくて済むといいな。"今"を大事にね。"次"を思うより"今"をやりきることが大事だよ。


















































大好きだよ朝田くん。

























幸せだったよ!





























未来に乾杯🌟